Band History

TREATの結成から現在に至るまでの歴史を年表にしてみました。
いくつかの海外のサイトをざっくりとまとめたもので、間違っているところがあるかもしれません。
間違いがありましたらご一報いただけると幸いです。

1977 Robert Ernlundは兄Goranのバンド、Spraangdegでフロントマンを務め、ストックホルムで活動。
1980 HEAVY ROADというバンドで活動していたLeif “Lillen” LiljegrenがThe Boysに加入。
1981 The BoysのメンバーはRobert Ernlund (Vocals) , Anders “Gary” Wikstrom (Guitar) and Leif “Lillen” Liljegren (Guitar)の3人。
ストレートな曲調のロックバンドで、歌詞もスウェーデン語だった。(アルバムを1枚作成)
割と流行を意識した作風だったため、メンバーは次第に疲れてしまい自分の好きなことをやろうと決めた。
1982 TREAT結成
“THE TREAT”というデモテープを作成。いくつかのレーベルに送る。
1983 HighbrowやPowerというバンドで活動していたドラマーMats “Dalton” Dahlbergが参加。

Matsはスウェーデンポリグラムレコードとコネクションがあり、コンタクトを取っていた。
スウェーデンポリグラムは丁度新しいハードロックバンドを探しているところで、契約が成立。

同時期に、ベーシストのTomas Lindがバンドに加入。

5人体制になったバンドは、ポリグラムレコードのスタジオでデモテープの作成を開始。
当時のバンドは、Journey,Foreigner,Def Leppard, Boston, KISS, Whitesnake ,Van Halenらの曲調に影響されていた。

1984 ベーシストのTomas Lindがバンドを脱退。
後任にFACTORYで活動していた25歳のKenneth Sivertssonが加入。
FACTORYは1978ー1981にスウェーデン国内で活動していたポップバンドで”Efter Plugget”というヒット曲があった。

5月、デビューシングル”Too Wild”をリリース

シングルはスマッシュヒット。
バンドのデビューはスウェーデンのロックシーンに衝撃を与えた。
それまではEUROPEがトップの地位に君臨していたが、彼らのデビューによりEUROPEのトップの地位もいずれ危うくなるのではないかといわれるほどだった。
EuropeのボーカリストJoey Tempestは後のインタビューで、Too Wildがリリースされた時のことについて「非常に良い曲であったため、ハッピーな気持ちと同時に腹立たしい気持ちがあった」と言っている。
Joeyはこの曲が確実にヒットするだろうと思い、この曲に匹敵するような曲を書かなければと強く焦った。
彼は”Too Wild”を聴いた2、3日後に、これに対抗する曲として”Rock the Night”を書き上げたと後のインタビューで語っていた。

リタ・フォードやW.A.S.Pのスウェーデンツアーのサポートアクトに抜擢。

10月、セカンドシングル”You got me” がリリース。
デビューシングルほどの売れ行きはなかったが、それなりに売れ、バンドが単なる一発屋ではないことが立証された。

12月、デビューアルバムの作成のためスタジオ入り。
当時メンバーにはそれぞれ定職があり、レコーディング作業は仕事が終わった後の夜に行われた。

1985 初夏、ファーストアルバム”SCRATCH AND BITE”リリース。
アルバムタイトルは当初”Inside Out”になる予定だったが、”Scratch and Bite”としてリリースされた。
当時バンドはDef leppardの”Pyromania” に多大に影響され、実際とても良く似ていた。
“No Room For Strangers”はlepsの”Billy´s Got a Gun”の単なるパクリだ。(・・・と、Andersは後に語る)。

”Get You On The Run”と”We Are One”がスウェーデン国内のヒットチャートに上がる。若者向けのラジオ番組でたくさん曲がかかった。
この年、TREATはスウェーデン国内における”The Best Hardrock Band” の冠を得る。

夏、スウェーデン全域、およそ100回にわたるツアーを行う。

Vo.のRobert ErnlundがSwedish Metal Aidのシンガーとして参加、”Give a Helping Hand”の導入部を歌う。
(Swedish Metal Aid は、USA for Africaのチャリティープロジェクトの一環としてスウェーデンで行われた)

ドラマーのMats “Dalton” Dahlbergが突然の脱退。
Robertは後に、彼のドラムテクニックについては不満を口にしていたことを語っていたが、他のメンバーについても同様の考えがあったようだ。
Matsはその不満に嫌気がさしたため、誰にも引き止めるチャンスを与えることなく突然の脱退を決意。
Mats “Dalton” DahlbergはTREAT脱退後、自身のバンドDALTONを結成。
THE RACE IS ON (1987)とINJECTION(1989)の2枚のアルバムをリリース。収録された曲のなかにはJon Bon JoviとMichael Boltonが共作した曲などがあった。

後任のドラマーとしてSix Feet Underで活動していたLeif Sundinが加入。
彼の父はスウェーデンで有名なジャズミュージシャンで、彼もジャズのルーツを持っていたので異色の加入であった。

12月、シングル”Ride Me High”リリース。

1986 夏、2ndアルバム”THE PLEASURE PRINCIPLE”リリース。
ABBAで有名なPolar music studioで収録された。
1985年のクリスマス前にツアーが終了し、すぐにスタジオ入りしたがリリースは2ヵ月後に予定されていたので急ピッチだった。
アルバムのクオリティは非常に高いものであったが、同年にEUROPEの”THE FINAL COUNTDOWN”がリリースされて世界的な成功を収めており、国内がEUROPE一色になっていたためか期待するほどの大成功は得られなかった。(ス ウェーデンの音楽チャートで15位を記録)

アルバムリリース後、67日間にわたるスカンジナビア半島ツアーを行う。
その日程のうちには、ナショナルフットボールスタジアムでのQueenとGary Mooreのオープニングアクトを務めた。

過密なスケジュールのため、Andersは過労で病院に運ばれたことがあるらしい(しかもRobertの運転で)

8月、ツアー終了とともにドラマーのLeif Sundinがバンドを脱退(解雇?)。
後任にSIX FEET UNDERやCAPRICORN、SWEDISH BEAUTY(後のSwedish Erotica)などで活動していた Jamie Borgerが加入。

華々しい活動のように見えるが、当時は実際は収入が殆ど無い状態で、失業保険給付の申請をしなくてはならない程だったらしい。

3rdアルバム作成のため、オランダのスタジオに入る。

1987 11月、3rdアルバム”DREAMHUNTER”リリース。
メロディアスな曲調は音楽評論家や多くのファンから好評を博す。

アルバム”THE PLEASURE PRINCIPLE”に収録されている”Rev It Up”がアメリカのバンドNEW CITY ROCKERSによってカバーされる。
カバーされた曲はビルボードのTop100圏内にランクインした。

秋から冬にかけて、スウェーデンツアーを行う。

バンドは、Final Count Downで大成功を収めたEUROPEに密かに嫉妬していた。
自分たちも海外進出を目指すため、スウェーデン国内のマネージメントから離れる。
西ドイツのマネージメント(BFS management)のUwe Blockに出会い、ヨーロッパマーケットへの進出を狙う。

1988 1月10日、ドイツで”DREAMHUNTER”がリリースされる。

同時に、アメリカでアルバムリリースのため、ポリグラムUSAと契約の交渉が始まる。

8月、ドイツのMondters of Rockに出演。
Uweはヨーロッパにおけるメジャーバンドのサポートアクトという契約も取ってきてはいたが、結局のところ実現したのは1988年のMonsters of Rockの出演のみであった。

10月 10日間の西ドイツツアーを行う。この後、予定されていたような大規模なヨーロッパツアーが行われることはなかった。
アメリカの契約も頓挫し、失敗に終わる。

“World of promises”のPVはスマッシュヒットとなったが、大半がスウェーデン国内のみの放送であった。

12/25 ギタリストのLeif “Lillen” Liljegrenを解雇。バンドはLillenのギターパートに問題を感じていたため。

1989 ベーシストのKenneth Siwertssonが脱退。その後、彼はスタジオミュージシャンに。
後任にSix Feet Under, Power, Jammerなどで活動していたJoakim “Joe” Larssonが加入。

彼はJamie Borgerの古い友人(Six Feet Underで一緒に活動していた)で、Thomas Larsson(Glenn Hughes, Baltimoore, Six Feet Under, Talisman 等で活動)の弟。

また、バンドはLeif “Lillen” Liljegrenの後任のギタリストは加えなかった。
当時Andersはライブでギターとキーボードを兼任していたが、今後はギターに専念するため代わりにキーボードプレイヤーを加入することを選択。

Powerで活動していたPatrick “Green” Appelgrenがキーボードとして加入。
彼は80年代卓球のヨーロッパチャンピオンとして活躍していた卓球選手Mikael “?pplet” Appelgrenの弟。

新しいメンバーを迎え再スタートを切るためニューアルバムの作成に取り掛かる。
レコーディングは順調だったが、リミックスの段階で予算を超えてしまっていた。
レコード会社はこれ以上の予算は出せないということだったが、将来のロイヤリティからオーバーした予算を支払うことで合意。

9月、4thアルバム”ORGANIZED CRIME”リリース。
1stアルバムに収録されている”Get You On The Run”がリメイクされた。また、アルバムジャケットはAndersがデザインしている。
4thアルバムは新たなレコードレーベルVertigoによってリリースされた

ニューアルバムのリリースと同時にTHE PLEASURE PRINCIPLE & DREAMHUNTERから選曲されたコンピレーションアルバム”TREAT”が発売。

1990 ドイツ、スイス、オランダにてヘッドライナーツアーを行う。チケットは全て完売だったらしい。
ふたたびアメリカでのレコード契約(ATCO等)を得るようと試みたが、実現することはなかった。

8月、Burrn Buning Live 第8弾として来日公演を果たす。

今後の方向性について、バンドとレコード会社に違いが生じ、ポリグラムレコードを離れる。

1991 長いツアーと多忙で疲れ、普通の生活が欲しくなったという理由から、ボーカルのRobert Ernlundが脱退。
Robertはサウンドエンジニアになる傍ら、ストックホルムでレストランとビデオ店を営む。

Jamie Borgerの古い友人であるMats Levenがヴォーカリストとして加入。
彼はCAPRICORN,Swedish Eroticaなどで活動、なかでもSwedish Eroticaはスウェーデン国内で成功していた。

ポリグラムを離れた後、バンドはレコードディールを失っていた状態だったが、後にドイツポリグラムと契約

1992 5thアルバム”TREAT”リリース。
オランダでレコーディングされたそのアルバムは、新たな出発を象徴してバンド名をタイトルにした。
レコード会社は、当時の流行であったラフでハードなイメージの曲をバンドに求め、バンドの曲調は大きく変化。
1993 春、25箇所のヨーロッパツアーと10箇所のスウェーデンツアーを行う。
当時プロモーターには伝えていなかったが、バンドはさよならツアーのつもりで行っていたツアーだった。

3/26 TREAT解散

メンバーは別々の道を歩み始める。
AndersはMental Hippie Bloodに加入、その後RoxetteのPer Gessleが設立した事務所、Jimmy Fun Musicでソングライター&プロデューサーとして活動。
Martin Thomander (元Electric Boys)の弟であるFredrik Thomander (元Grand Slam、Zinny Zan´s band)と”Epicentre”というソングライティングユニットを組み、N´Sync, A-Teens, Jessica Folcker, Excellence, Backyard Babies等に曲を提供。

JamieはTALISMANに加入、PatrickはAOR-hope State Of Mindに加入し音楽活動を続ける。

各々の個人活動期間中にもバンドメンバーは親密に交流を続けていた。

2001 5thアルバム”TREAT”作成時に没になったデモが”MUSCLE IN MOTION” としてブートレッグで発売された。
(ただし、このアルバムはメンバーには無許可で何者かがリリースしたもの。公式なものではない)
2006 Jamieの提言により、バンドは再結成について検討しはじめる。

Robertは初めは再結成に反対していたが、Jamieの積極的な働きかけにより後に再結成に同意。
バンドは再結成にあたり新しいベーシストを探し始める。

スウェーデンでとても評価の高いセッションミュージシャンでTREATファンでもあったNalle Pahlssonが加入。
Andersは彼と10年来の友人であり、かつてGagarinというスリーピースバンドで一緒にプレーしたことがある。
もし再結成することがあれば彼を迎え入れたいとAndersが考えていた一人だった。

TREAT再結成
再結成アルバム”Weapon of Choice”をリリース。

2008 4/11 SCRATCH AND BITE / LIVE AT FIREFEST III (CD+DVD) をリリース。

スウェーデン国内で同アルバムのリリースパーティ、いくつかのギグを行う。

2009 1月 ドイツのミュンヘンで行われた「ROCK OVER MUNICH」に参加。

5/1 バンドは再結成後初のニューアルバムのレコーディングを開始。
一番最初にレコーディングされたのは”Turn The Dial”

10/23 イギリスのノッティンガムで行われた「FIREFEST VI」 に出演。初日のトリを務めた。

2010 3/19 18年ぶりの6thアルバム” Coup De Grace” をリリース(ヨーロッパ地域のみ)

4/6 U.S.盤 “Coup De  Grace” をリリース

5/26 日本盤 “Coup De  Grace” をリリース

6月 Sweden Rock Festival 出演

新作を引っ提げてヨーロッパツアーを行う

・・・現在に至る

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